芸術とデザイン、日本とジャポニズム!

かつて、日本にあった芸術は、様々な国に渡り、偉大な巨匠達の作品に影響を与えていきました。これを大まかにジャポニズム(日本趣味)と言いますが、浮世絵や琳派の作品だけでなく、今日本のカルチャーは、様々なものが、必ずしもアートでないものにも用いられるようになっていっています。このサイトではそんな「かつてあったジャポニズム」と「今現在のネオ・ジャポニズム」について、詳しく語っていきたいと考えております。

そもそもジャポニズムの始まりは?

ジャポニズムというものが、確固たる姿勢として現れ始めたのは19世紀後半に印象派と呼ばれる派閥が、パリで伝統的なアカデミー様式と対立した画家達による前衛芸術運動を行ったことにあります。これは後々のヨーロッパ、アメリカや日本にまで影響を及ぼしました。

これまでは、宗教的、または歴史的な分野において女性が描かれる事が多かったのですが、ジャポニズムの与えた影響によって、日常生活で生まれた余暇を過ごす人々やガス灯による夜の情景、ダンスホールに集う人々、或いは踊り子やサーカスの曲芸師等といったものまでが、全部日常の中にあるものとして当時の近代性を用いて表現されていったのです。

またそういった描く対象の変化だけで無く、色彩や構図等の技法の上でも重要な革新をもたらしました。

印象派の絵画の特性は光の動き、変化の質感をいかに絵画に表現するかで、ある瞬間の変化を強調して表現することにありましたが、その構図などは多くの影響を受けています。色彩に富んでいることも影響の一つだと考えられます。

またジャポニズムは1900年代に広まったアールヌーボーにも影響が見られます。

ヨーロッパは植民地政策によってアジア諸国の文化を知ったことにより、異文化のエキゾチズムを求めた人々が中国の工芸品、陶磁器等を生活に取り入れるようになるのですが、これによって中国趣味(シノワズリ)と日本趣味(ジャポニズム)というものが、一つの文化として現れます。そして、1878年パリ万博で公開された日本画の自由な平面構成による空間表現や浮世絵の鮮やかな色使いが当時の画家に強烈なインスピレーションを与えたのです。また、これは絵画は写実的で無くてはならないという、制約から画家達を解放させました。この時期に浮世絵の影響を受けたと言われる画家にはマネ、モネ、ドガ、ゴッホ、セザンヌ、ロートレックがいますが、彼らもこぞって浮世絵をコレクションし、またそれらを模写することによって、新たな芸術「アールヌーボー」への道を模索していたのでした。

浮世絵の何が凄かったのか?

当時、様々な人がこぞって浮世絵を集めていたようですが、これはある意味芸術的な知識を抜きにして考えると、エキゾチックなトレーディングカード、ブロマイドカードといったものだったのだと思えます。特に、日本においてはこの浮世絵は、ほとんど蕎麦一食代と同じ値段で買えるものでしたので、ある意味では庶民の中に根付いた一種の趣味としてあったのだと思います。

しかし、そもそも海外では未だ多色刷りの印刷物というもの自体が、珍しかったことと、その図案こそが、これまでの芸術の中には存在し得なかった物であったことから、異様なほどの高値で売れることになっていきました。

特に当時の画家達が驚いたのは、浮世絵の左右非対称や余白をいかす構図、対象物の一部の拡大や切り取ったような大胆な構図、鮮やかで生彩に富んだ色彩表現などで、これは西洋絵画には存在しないものでした。写実的に物を描くというところから離れて、平面的でありながら躍動感にあふれる日本の美術が画家たちを驚かせ、震わせたのです。

異国趣味としての日本趣味から一歩進んで日本美術の造形的な特質を欧米の画家が自分の創作に取り入れるようになりました。ギリシャ以降のヨーロッパの美意識に新風を吹き込んです。日本美術は西欧に欠けていたものを補完するものとして積極的に摂取されました。たとえば大胆で非対称的な構図と線と、平らな色面だけで全部を表現する浮世絵はゴッホにリアリズム以外の自然の捉え方を示唆しました。北斎の「富嶽三十六景」等は同じテーマを異なる季節や時間に描くという連作のヒントをモネに与えました。モネは連作により、光線が刻々と変化するのを色彩を変えることで表現されるもの、異なる光によってみせる、さまざまな現れ方を鑑賞者にいっそう強く印象づけたのです。

ドガ、ゴーギャン、ロートレックらも各自が必要とした要素を日本美術から取り入れています。ジャポニズムは19世紀末からの西欧の芸術に欠かせない要素となってました。

ジャポニズムに強い影響を受けたゴッホ

特に浮世絵に影響を受けた画家の一人にはオランダ出身のフィンセント・フアン・ゴッホがいます。彼は伝道師等さまざまな仕事を試みた後、その不安に満ちた激しい内面世界、宗教的感情を託す手段として絵画を選んいますが、ゴッホは日本に対する関心もたかく技法的にも浮世絵の大胆な構図と平明な色彩の強い感化を受けていたのでした。

ゴッホはパリで広重の「亀戸梅屋舗」や英泉の「雲竜打掛の花魁」を模写し日本的画法を油絵で試みています。

陰影をつけず線描や点描だけによる描写、地平線をかなり高く設定する俯瞰的構図、前景に大きなモチーフを描いて遠景と対比させる「対比遠近法」をはじめとして、格子状の短いタッチを用いて縮んだ紙に刷られた浮世絵のマチエールを真似たりしています。浮世絵を模写するときでも習作的に写すのではなく、文字を配した枠組みを描き込んだり、複数のモチーフを掛けあわせてみたりと試行錯誤をしています。また、西洋風の明暗法を採用してみたりと、独自の作品としているのです。ゴッホにとって浮世絵研究は西洋絵画の伝統の呪縛から解放される手段として重要なもので、ゴッホは日本という国をその思想や精神性の根底まで理解しようと努めたのでした。

版画の技法の発明で北斎がフランスを!

また、他にもアンリーリヴィエールという人物もジャポニズムに大きな影響を受けておりました。特に北斎に対して影響を受けていたようで、石版画や木版画の新しい技法の発明により新興市民階級のための芸術が起こった際には、この大衆のための芸術である浮世絵版画をフランスにおいて、牽引していくことになります。

特に面白いのがアンリーリヴィエールの「エッフェル塔三十六景」で、これはフランスの風景に江戸の雰囲気を加え、北斎の「冨嶽三十六景」を暗示させたものなのですが、それ以前にあったジャポニズムという物から影響を受けながらも、自国の物としてそれをしっかりと吸収して表現しているところに面白みがありました。

鎖国時代の江戸は世界に影響を与えていた

特にこのジャポニズムの文化が流行っていた時代は、日本は鎖国という政策を行っており、比較的暗いイメージに捉えられがちですが、ある種、これは幕府による貿易の独占という意味合いもあり、実際にはオランダ船などを通じて、文物交流が活発に行われていたのです。

特に、産業革命以後、市民革命を経て、社会は枠組みの転換をしていき、写真の発明の影響もあって、絵画の新しい表現、新しい様式の模索を続け写実主義からの脱却を試みようとしていたこともあってか、絵画表現を切り開く上で、ジャポニズムが一つの触媒となっていたのでした。日本のジャポニズムがヨーロッパ美術に与えた影響は計り知れません。もし、浮世絵の印象派、後期印象派への影響がなかったら、現代のヨーロッパ美術、ひいては世界の美術は全く違った様相を示していたのだと思います。

現在のネオ・ジャポニズムとは?

さて、そんな芸術の分野において影響を与えてきた日本ですが、最近ではネオ・ジャポニズムと称してデザインやファッションの分野にも、影響を与えているという事はご存じでしょうか? アニメーションやサブカルチャー、そして日本のこれまでの伝統芸能といったものを、クールジャパンとして送り出す施策を政府主導で行ってはいますが、今現在は、そんな運動とは全く別の部分から、ネオ・ジャポニズムという物が生まれて、再び、日本という物を作品の中に取り入れようという運動が起こっているのです。

このサイトでは、そんな現在の若者達に受け入れられているネオジャポニズムについても紹介していこうと思います。 

芸術とデザイン、日本とジャポニズム!

かつて、日本の芸術は、浮世絵や琳派だけでなく、扇子や茶碗といったものまでが、様々な国に渡り、偉大な巨匠達の作品に影響を与えていきました。これを大まかにジャポニズム(日本趣味)と言いますが、今や日本のカルチャーは、そういった昔のものに限られず、日本的な要素を持つものが、必ずしもアートでないものにも用いられるようになっていっています。このサイトではそんな「今現在のネオ・ジャポニズム」と「かつてあったジャポニズム」について解説していきます。

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